知る人ぞ知る地元の有名人、ユニークな活動グループ、愛されキャラなど、地元発「岡山たからもん」な人たちを紹介!

あなたの「岡山たからもん」を教えてください!に寄せられた他薦・自薦の人物を取り上げるコーナーです。

美術館ガイド
次田 智惠子
さん
CHIEKO TSUGITA Profile
1934年、犬島(現岡山市東区)生まれ。女学校進学のため10歳で犬島を離れ、母親の実家(旧邑久郡豊村門前、現岡山市東区西大寺)へ転居。岡山県立西大寺高等女学校(現岡山県立西大寺高等学校)を卒業後、20歳で結婚。22歳の時、母親の病気をきっかけに夫婦で犬島に戻り、現在に至る。子育て中から婦人会やPTA、婦人消防クラブなど地域の活動に人一倍熱心に取り組む。2008年の開館以来、犬島精錬所美術館のガイドを務める。

どんな便利なところよりもここの自然が恋しい。
離れられん。犬島は特別な場所。

 「コロナで(犬島精錬所)美術館が休館になって、人が来んようになったらシーンとして島が死んだようになった。いま犬島に住んどんのは30人ちょっとしかおらんけえ。こりゃあいけん、なんとかせにゃぁと思うたわ」。愛してやまない犬島の話をするとき、次田さんの大きめの声はことさら熱を帯びる。
 宝伝港(岡山市東区)から定期船で約10分。岡山市で唯一の有人離島「犬島」。周囲約3.6㎞の島はかつて採石場や銅の製錬所として栄えた。島の石は、大阪城の改修や鶴岡八幡宮の鳥居、岡山後楽園の造園に使われたことで知られる。明治30年代初期の最盛期には2万人の石工、150人の大工、1900人の職工人夫が犬島に渡り、常時5000人から6000人が住んだと伝えられる。
 「私が子どもの頃はまだ石職人がようけおってなー。親方の家へ近所の子どもらと毎日のように遊びにいっとった。お昼に一升釜で炊いたおこげの塩むすびをもらって食べて、それがおいしゅうてなぁ」。夏、石切り場の深さ30mのため池で唇が紫色になるまで泳いだことも、昨日のことのように覚えている。
 砕石が下火になった頃、日本は工業社会へ舵を切り始めた。1909年(明治42)、犬島に製錬所が建つと、所有する企業の社宅や飲食店、旅館などが建ち、演劇場もできた。多くの従業員や技師らが移住し、島はにぎわった。しかし、煙害などの公害問題、非鉄金属の価格暴落、採算悪化などで運営会社は清算。1919年、犬島製錬所は完全廃止され、施設は放置された。子ども時代の次田さんは親の目を盗んで大勢の子どもたちと跡地に入り、裸足で走り回って遊んだ。第二次世界大戦のさなかで運動靴がなかったからだが、次田さんには楽しい思い出の場所だ。
 それから30年余り。次田さんは70代に差し掛かっていた。主要産業が斜陽になった犬島の人口は減る一方。「便利なとこに行っても、犬島の自然が恋しい。離れられん。遠くの親戚より近くの他人。向こう三軒両隣、いつも他家のことを気にかけて暮らして、冠婚葬祭、病気災難、すべてに渡って近所の助け合いの精神じゃった」
 島が廃れていくことに寂しさを感じていた次田さんに、ある知らせが伝わってくる。製錬所の跡地を相続した次田さんの“いとこ”に、福武聰一郎氏(福武財団理事長)から「製錬所の跡地をアートプロジェクトとして再生したい。ついては売ってもらえないだろうか」と相談があったという。
 結論が出せずに迷っている“いとこ”の元を訪ね、次田さんはこう迫った。「あの跡地を自分でなんとかするつもがあるんか? ないんなら、売りんせー。先方は再生して残してくれると言うとんじゃ。このまま朽ち果ててしまうよりよっぽどましじゃわ」
 2001年3月、福武理事長との売買契約が成立。5年後、犬島の近代化遺産を活用したアートプロジェクトの住民説明会が開かれた。「完成は10~15年後」という説明に、74歳の次田さんは直談判した。「そりゃおえんわ、理事長さん。そんな先になってしもうたら、ここに居る全員、この世にもうおらんよ。私らの目の黒いうちに完成させて、一緒に祝杯を挙げさせてくれんかな」。
 いとこの背中を「売りんせー」と言って押した自分には、責任がある。跡地がどのように変わるのか、犬島にどんな良いことをもたらすのか、生きて確かめなければ死んでも死ねない。その一心で福武理事長に思いをぶつけた。
 それから2年後、犬島精錬所美術館は晴れてオープンとなった。次田さんはすぐにガイドに手を挙げる。犬島を本当に理解してもらうためには、地元島民しか知らない歴史や風土、暮らしを伝えることも大事ではないかと感じたからだ。
 製錬所の成り立ち、銅の生産の仕組み、 “からみレンガ”の特性……あらためて一から勉強した。からみレンガとガラスで構成された「サンギャラリー」は、外気温度がゼロでも集められた太陽熱により室温15度をキープ。秘密は高い蓄熱性だ。その効果を実感してもらい、できれば今の技術や産業に活用してもらいたい。最近、農家から重油を使わない温室づくりへの活用を相談された。次田さんはすぐに技師に相談。「小さくてもいいから、1つ作ってみて。成果につなげられんか?」と発破をかけている。
 「この年になって新しいことを勉強するのに往生したけどな。どう言うたら、犬島のことを分かってもらえるじゃろうか。いつも考えとる。言葉が荒いのはしょうがねえ。今さら標準語にゃならんで。ときどき、『おばあちゃんの言葉、きつすぎるか?』と聞きながらしゃべっとる」
 自分にとって「運命」であり「特別な場所」である犬島を、一人でも多くの人に伝えたい。今日も次田さんはサンギャラリーで鑑賞者を迎える。

■イベント情報

瀬戸内国際芸術2022の「夏」会期は、
2022年8月5日(金)—9月4日(日)の31日間。
「瀬戸内国際芸術2022」概要はこちら

犬島精錬所美術館/写真:河野太一

犬島精錬所美術館
〒704-8153 岡山県岡山市東区犬島327-4
TEL:086-947-1112

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