「品質の一番良いものだけを売る」
スーパー道を究めて60年。
  • 実業家行光 博志さん
1936年、井原市生まれ。高校卒業後、兄の経営する「錨堂」(神戸市元町)で洋菓子職人の道に。レジスターの営業マンにスーパーマーケットの起業を打診されて創業。61年、兵庫県尼崎市にいかりスーパーマーケット第1号店を開設。今や高級スーパーの代名詞となり、関西圏に27店舗、レストラン3店舗、製造工場9工場、輸入事業会社を擁す。2021年11月、故郷に「いかり井原店おいしい館」を開設。2012年から代表取締役会長。兵庫県在住。
 日本のスーパーマーケット(以下、「スーパー」)第1号は、1953年に東京青山にできた「紀ノ國屋」。最高の品ぞろえで他のスーパーと一線を画す存在だ。店づくりの勉強で同店を訪れた20代半ばの行光青年は、入り口で圧倒され立ち尽くす。「自分も関西でこんなスーパーを開きたい!」。以来、品質の一番良いものを売る道を一途に究めてきた。当初は営業先に名刺を出しても相手にされなかった。人材難や資金難で2号店開店まで12年を要した。紀ノ國屋の創業者に日参して教えを請い、母校の興譲館高校を訪ねて採用や資金繰り、経営について恩師の助言を仰いだ。「今のいかりスーパーがあるのは、多大なご指導とご支援のおかげ」。一日も感謝を忘れたことはない。
 拡大に走らず、従業員とおいしいもの、喜んでもらえるものをそろえる方法を地道に模索。「もうけようとするな。お客様に満足いただけたら、利益は後から必ず付いてくる」と説き続ける。外国の見本市を見て回り、輸入会社を設立。自分が味見をして合格したものだけを仕入れる。舌の肥えた関西の富裕層に信頼され、高級スーパーの代表格となった。
 「品質の一番良いものを作って売る」を掲げ、自社製品に力を注ぐ。会長室にはキッチンを常設し、アイデアを思い付いたら従業員たちと試行錯誤を繰り返す。コロナ禍による生活変化を見据え、冷凍食品の充実を課題に加えた。出来たてのおいしさを保つための新たな製造システムを開発。昨年11月、自社工場の近くに「いかり井原店おいしい館」を開設し、約100坪の店の壁一面に冷凍コーナーを設けた。故郷での評判や期待の大きさに「驚いています。ありがたいことです」。85歳。今もより良い素材を求めて全国へ足を運び、生産者と話をする。やりたいことが、まだまだたくさんある。
自身が発案したikariのロゴマーク。
今やあこがれの対象
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