ケース11

「帰ってきて良かった」と
思ってもらえる川辺にしたい

槙原 聡美

Satomi Makihara
Profile
1979年、総社市生まれ。「川辺復興プロジェクトあるく」代表。川辺地区まちづくり推進協議会防災部長。保育士・防災士。夫、子ども2人(高3・高1)の4人家族。西日本豪雨災害で自宅が全壊。再建と並行して地域の支援活動を始め、20人のメンバーとまちづくりや地域防災に取り組む。防災講演は100回を超え、媒体にも多数出演。自身の経験をもとに「イメージしやすく分かりやすい防災」を発信する。20年、「あるく」は地域再生大賞の優秀賞を受賞。

 西日本豪雨により、倉敷市真備町川辺地区約1700世帯の9割以上が、家屋の全半壊で生活を奪われた。被災者は町内外へ分散避難を強いられ、川辺地区から人の気配が消えた。
 約2カ月後、槙原聡美さんはSNS(交流サイト)で呼びかけ、ボランティアの協力を得て川辺地区内で炊き出しを始める。「会いたい」「話したい」「帰りたい」。人づてに地区内外から約500人が集まった。2カ月間ほぼ毎日、炊き出しには長い行列ができた。
 川辺の人が安心して顔を合わせられる場所をつくろう! 槙原さんは地元の仲間と一緒に「川辺復興プロジェクトあるく」を発足。交流事業や防災活動など、旺盛に活動を続けた。被災者に川辺に帰ってきて良かったと思ってもらうには、どんなまちづくりが必要か。5年間、その視点は変わらない。

心の守り方は一人ひとり違う

 被災後、槙原さんは総社市の実家に避難した。母親が食事を作ってくれた。全壊した自宅は水害保険で再建がかなった。みんなのために自分ができることを。その気持ちが「あるく」の活動を突き動かした。
 川辺地区では水害で6人が亡くなった。「自分が声をかけて避難を促していれば」との思いはずっと消えない。被災者の中には「避難時に子どもに怖い思いをさせた」「ペットを置いて逃げた」と後悔を抱えたままの人もいる。
 あの日から5年、インフラ整備や住宅再建が進み、川辺地区は以前の人口をほぼ取り戻した。半面、心の復興は目に見えない。傷ついたままの人もいる。「心の守り方は一人一人違う。顔を見て、言葉を交わせる関係性の中で、これからも寄り添い、支え合い助け合っていければ」と思う。

炊き出しには毎日500人近くが訪れた

被災経験を未来の災害に生かす

 子どもたちに怖い思いをさせないで。誰にも失う辛さを経験させたくない。被災者目線で避難ガイドラインを編集製作した「防災おやこ手帳」は、テレビなどで知った全国の人から問い合わせが相次いだ。
 自分たちの喪失体験は塗り替えられないけれど、「誰かの役に立てれば」という願いを未来に生かす。自分ができること、やりたいことで、誰かが喜んでくれる活動は、メンバーの生きがいにもなっている。
 7月末まで、被災者に「川辺川柳」を募集中。言葉にして表現することで、心が少し軽くなる。自身がそうだった。いろんな思いを吐き出せていない人に、気持ちの区切りにしてもらえたら。それが災害の記憶の風化を防ぐことにもなる。「一人でも多くの人に参加してほしい」と呼びかける。

私たちのつらい体験を誰にもしてほしくないー。「あるく」メンバーの思いが詰まった「防災おやこ手帳」

「防災おやこ手帳」は初版からの配布が累計4万7000冊を超えた

黄色いタスキが担うもの

 水害の記憶が強く残る人もいれば、薄らいだ人もいる。災害後に移住してきた人の中には、危機意識さえない人も多い。「新・川辺地区」で、どうすれば「誰ひとり取り残さない防災意識」を共有できるのか。
 「あるく」が一つの試みとして、黄色いタスキを考案した。隣近所での声掛けのハードルを低くし、「避難」を一目で知らせるサインとして、他の自治体も注目する。
 「地域につながっていると実感できる。ご近所さんにも思いを寄せる。地域づくりに一番大切な部分」を、黄色いタスキに託す。

黄色いタスキは“つながっている証し”

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