ケース2

人に、自分に、希望を与えられる
農業を目指し続ける

植田 輝義

Teruyoshi Ueda
Profile
1974年、兵庫県生まれ。大手鉄鋼メーカーを経て99年、結婚を機に岡山に移住し、黄ニラ農家として就農。2000年ごろからパクチー栽培にも乗り出す。〝黄ニラ大使〟〝岡パク大使〟を名乗り、県産黄ニラやパクチーのPR活動を積極的に展開。農林水産省と内閣官房が取り組む「ディスカバー農山漁村の宝」で21年、個人部門最高賞に当たる優秀賞を受賞。

法人設立直後に被災

 広々とした畑に幾筋もつくられた畝の上、等間隔に植えられた鮮やかな緑色のニラが風に揺れる。周囲の山から響く野鳥のさえずり。近くを流れる地蔵川では、カモが涼しげに泳いでいた。
 「今でも長雨が続くと、あの日を思い出す」。岡山県特産の黄ニラやパクチーの産地として知られる岡山市北区牟佐、玉柏地区。西日本豪雨では、そののどかな風景が一変。手がけていた計2.5ヘクタールの畑を、氾濫した地蔵川の濁流がのみ込んだ。収穫を控えていた黄ニラやパクチーだけでなく、トラクターや畝立て機などの農機も水没した。「氾濫前から畑の様子が気になってはいたけど、人命救助が最優先」と消防団活動に走り回っていた最中のことだった。
 豪雨直前の2018年7月2日に、農業法人「アーチファーム」を設立したばかり。「農業を通じて皆さんをつなぐ架け橋になりたい」との希望に満ちた会社の船出は、「大きなマイナスからの出発」に塗り替えられた。

アーチファームの看板横に立つ植田さん

温かな気持ちがうれしかった

 「何かできることある?」「片付け手伝おうか」-。畑の水没や復旧作業の様子をSNS(交流サイト)に投稿すると、取引先の飲食店主や消費者からの反応が相次ぎ、手伝いに駆けつけてくれた。
 14年に放送されたテレビ番組で知り合った男性アイドルグループのメンバーからも番組スタッフを通じて励ましの言葉が届いた。日程の調整がついたメンバーやスタッフは後に畑を訪れ、復旧作業に汗を流してくれた。
 「待ってくれている人がいる。忘れないでくれた人がいる。温かな気持ちがうれしかった」。照りつける真夏の日差しの下、復旧作業に追われる日々。体も心も限界を迎えていたが、多くの人たちの励ましが、背中を押してくれた。
 農地の復旧を進めながら、8月末には約3キロのパクチーを収穫した。被災前にまいた種が泥だらけの畑に芽吹いたものだ。〝希望のパクチー〟として、後片付けを手伝ってくれた飲食店主らに届けた。

冠水し泥まみれになった黄ニラ

ひたすら自分を鼓舞し続けた

 黄ニラ、パクチーとも19年にはほぼ例年並みの収穫にまで戻ったが、安心できたのはつかの間。新型コロナウイルス禍の中、外食産業は営業の自粛や時短を余儀なくされ、需要が激減。市場価格は大きく落ち込んだ。
 「命は無事だった。いつまでも下を向いてばかりではいられない」。黄ニラの味にほれ込み、栽培農家として生きることを決めたこの地のためにも、苦境を知ってかわがままの一つも言わなかった2人の子どものためにも。ひたすら自分を鼓舞し続け、栽培の効率化や新たな加工品開発などに力を注いだ。被災時に1棟だったパクチー用のハウスは11棟まで増やした。豪雨災害やコロナ禍で必要性を痛感し、販路の多角化への取り組みも続ける。
 「ようやく暗いトンネルを抜けたかな。周囲の人にも、そして自分にも希望を与えられる農業を目指したい」。コロナ禍が一段落し、飲食業界にも活気が戻り始めた中、新たな一歩を踏み出すつもりだ。

黄ニラの育ち具合を確かめる植田さん

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